機動戦士ガンダムジークアクスを見ていて感じる令和のコンテンツ消費文化
一応ネタバレ注意
たまには見ているアニメをネタにしてなにか書きましょうか。
対象作品は「機動戦士ガンダムGQuuuuuuX(ジークアクス)」です。
ちなみに本記事執筆時点で10話まで視聴済みです。

「新世紀エヴァンゲリオン」でおなじみのカラーがサンライズと組んで制作するガンダムシリーズ最新作ということで、発表時からかなり話題になっていましたね。
どんな作品なのかと楽しみにしていたところ、蓋を開けてみればまさかの宇宙世紀IFものということで驚かされました。
シャアが奪ったガンダムに乗って一年戦争をジオンの勝利に導くという展開、正史ではアムロに倒されてすぐ退場したシャリア・ブルが主要登場人物である点など、よく企画が通ったなと思うことしきりです。
さて、ここから内容に詳しく言及してもいいのですが、ここではちょっと違う視点の話をしたいと思います。
このジークアクスという作品、SNSとの親和性が非常に高いと言えます。ガンダムシリーズとしてはひとつ前にあたる「水星の魔女」や、もっと遡れば「鉄血のオルフェンズ」あたりからすでにそういう兆候はありましたが、放送時にSNS上で実況され、感想や考察、展開予想などが活発に行われるという傾向がより顕著になっていると感じます。
単にSNSが身近になったということ、ガンダムという人気シリーズで注目されていることももちろんあります。しかし今の考察や展開予想の過熱ぶりはそれだけではなく、ジークアクスという作品の構造がそうなっていると見ることができるでしょう。
宇宙世紀のIFということで、新作でありながら過去作品の膨大な蓄積を背景として持っており、それらとの関連性を見出すことがいくらでもできてしまいますし、1話からずっとハイテンポで説明や描写を可能な限り削ぎ落としたつくりはその「行間」を否応なく想像させてもきます。
「過去の作品や設定資料にこういう内容があったからそれを引用しているのではないか」「このシーンのこの部分はこういう意味があるのではないか」そんなような投稿がSNS上には溢れています。
これが制作陣の意図した通りの展開であれば、まさしくSNS時代のアニメとして大成功と言っていいでしょう。令和のコンテンツはSNS上で分析・解体・再構成されることで真の完成を見るのかもしれません。
ただ、このようなお祭り騒ぎ的な盛り上がり方をすることには不安もあります。
例えば数年後、十数年後にガンダム初心者が入門として見て面白い作品であると感じられるかどうかです。X(旧Twitter)がその時まで残っている保証もありませんし、残っていたとしてもリアルタイムの盛り上がりを直に感じ取れるわけでもありません。
ジークアクスがSNSという外部装置による盛り上がりの存在とセットで完成する作品であると仮定した場合、本当の意味で「完成品」を楽しめるのは本放送中の今だけということになってしまいます。
これはジークアクスに限らず、この令和においては様々なコンテンツがSNS上で注目されもてはやされているうちに摂取することを推奨され、その時期を過ぎてからでは十分に楽しめないという現象が起きていると感じることがあります。
もともとアニメやゲーム等のコンテンツにそういう性質がないわけではありません。リアルタイムで楽しむというのはその世代の特権でもあります。しかし、SNSの存在によってその性質があまりにも極大化され過ぎていると感じます。
それこそ来月以降にまとめて見た人の視聴体験が今毎週追っている人とあまりに違うとすれば、ジークアクスという作品自体が本当の意味での名作や傑作と評価していいものなのか疑問に感じてしまうでしょう。もちろん本記事の執筆時点ではまだ完結していないので終わり方次第で単なる駄作とされてしまう可能性がなきにしもあらずですが。
しかし、もしこれで話がきれいに終わって高評価ということになった場合、その後のことも気になってきます。
これだけSNSを沸かせて成功したとなれば、次のガンダムにも同じだけの、あるいはそれ以上の成功が要求されるでしょう。そうなると、どれだけSNSを騒がせられるかというウケ狙いチキンレースのようなことになりはしないか、という心配があります。
あるいは、まっとうに面白い作品を出したとしてもSNSでウケないという理由で評価が低くなってしまうということも考えられます。
個人的には、本放送が終わってから配信でまとめて見るタイプの人に対してもやさしい作品づくりをしてほしいと思います。お祭り騒ぎはたまにやるから楽しいのであって、常にそれを要求されては疲れてしまいますからね。
以上です
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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