バベルの塔は世界をひとつにするか
言語の壁を取り払おうとも文化の違いは容易に乗り越えられない
少し前にX(旧Twitter)が多言語自動翻訳に対応し、タイムライン上での異文化交流が盛んになってきました。
しばらくはアメリカのBBQ画像が流れてきたり日本人がアメリカ人におにぎりを教えたりと牧歌的な様相でしたが、やはりと言うべきか次第に剣呑な話題・議論も増えてきました。
気になったのは著作権に関する議論です。
海賊版かファンワークか
日本では著作物に対するファンワーク、すなわち二次創作に対して権利者側が寛容である場合が多いです。反面、公式のコンテンツそのままのコピーである海賊版は許容されません。
しかし、海外ではこれが真逆になっているらしく、海賊版は貴重な公式そのままの供給源であり、逆にファンワークは実費程度の利益でもコンテンツを改変して商売しているからダメ、という認識のようなのです。
もちろんX(旧Twitter)で見聞きできる範囲のことですから、それをすべて一般化することはできないでしょう。まして海外とひとくくりにするのもちょっと軽率です。
しかし、そういう考え方の人が世界中に無視できない数だけいるんだということは紛れもない事実のようです。
ミラーサーバとStop Killing Games運動
サービス終了したオンラインゲームのファンを名乗る人々がミラーサーバを立てて勝手にサービスし始めたという話もありました。
ミラーサーバというのも要するに海賊版です。いくらサービスが終了して遊べなくなったゲームであっても、権利者以外が勝手にそれをサービスすることは権利侵害となります。
カリフォルニア州でStop Killing Games運動が議会への法案提出まで進んでいるというニュースもありました。
Stop Killing Games(ゲームを殺すな)運動というのはオンラインゲームのサービス終了によりプレイできなくなる事態を回避することが目的の運動で、メーカーにサービスの恒久的な継続やサービス終了時にオフライン版を提供することなどを求めています。
むちゃくちゃな話ではありますが、どちらもオンラインゲームを人々が遊ぶ権利を企業が不当に奪っているという図式で認識している人がいるということです。
コンピュータゲームとハッカー文化
そもそもアメリカではコンピュータゲームとハッカー文化が密接に結びついて発展してきました。
現代のコンピュータゲームの始祖である「スペースウォー!」からしてコードのコピーや改変を通して発祥地であるMITから各地に広がった経緯があり、初期のゲームはハッカーが作ってハッカーが遊ぶもので、企業はそれを「仕事の妨げになる」として禁止令を出して妨害する存在でした。とはいえ、大学や企業に設置されたメインフレームのようなコンピュータが持つ計算資源をゲームという形で勝手に浪費していたのはハッカー側なのですが。
時代が下ってゲームを企業が作るようになっても、MODという形でハッカー文化の流れは続いています。彼らにとってゲームを遊ぶこととハックすることはかなり近い行為のようです。
日本では家庭用ゲームが主流であったこともあってそういった文化は育ちませんでした。今でこそMinecraftをはじめとしたPCゲームでMODを使用する人は増えていますが、単に自己責任で遊ぶ非公式の無料DLCというような受け止め方をしている人が多いのではないでしょうか。
そのような文化的背景もあり、海外特にアメリカではゲームを「企業のもの」ではなく「自分のもの」にしてコントロール下に置きたいという欲求が強いのだと思います。
このあたりはOSSや分散SNSの思想にも通じる部分があり、それらの思想にかぶれている筆者としてはわからないでもないところがあるのですが、同時に日本人としてクリエイターに敬意を払い権利を尊重し利益を還元するべきだという思いも当然あり、難しい問題だなと感じています。
この件に限らず翻訳を通した様々な議論からは、言語の壁を取り払おうとも文化の違いは容易に乗り越えられないのだろうということを考えさせられました。
それでも人類に普遍的な性質――例えばクッキーの缶やジャムの瓶を再利用することなど――も判明しているので、不可能ではないだろうという希望は見えているのですが。
以上です
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